
平沢邦雄
JNEXT社会保険労務士法人 代表社員
企業の労務管理、社会保険手続き、人事制度設計などを中心に、数多くの法人・個人事業主を支援。実務に即したわかりやすい解説を得意とし、最新の法改正を踏まえた正確な情報提供を行っている。
給与計算を長年ひとりの担当者に任せている会社は、決して珍しくありません。
日々の処理が滞りなく回っているうちは、その体制に不都合を感じる場面もないでしょう。
ただ、担当者の急な休職や退職が現実になったとき、給与計算だけは代わりが利かない業務だと気づかされます。
この記事でお伝えするのは、属人化した給与計算を工程ごとに分けて外していく進め方です。
機密性を保ったまま引き継げる状態にする方法まで、順を追って整理します。
給与計算の属人化が他の業務より解消しにくい4つの事情
給与計算の属人化とは、特定の担当者しか正しく処理できない状態を指します。
同じ属人化でも、給与計算には他の業務にない事情が重なっているのです。
まずは、解消を難しくしている4つの事情から確認しましょう。
給与計算は金額を知られたくない情報を扱うため共有しにくい
給与計算の担当者は、全社員の給与額という機密性の高い情報を扱います。
会社としては、この情報に触れる人をできるだけ増やしたくないはずです。
その結果、業務を任せる相手も自然にひとりへ絞られていきます。
ほかの業務なら「まず共有する」ところから始められますが、給与計算では共有そのものにブレーキがかかるのです。
引き継ぎが進まない一番の理由は、担当者の姿勢ではなくこの構造です。
給与計算には支給日という動かせない締切がある
給与は、労働基準法第24条により毎月1回以上、一定の期日を定めて支払うと決められています。
支給日そのものは会社が定めますが、会社の都合だけで当月の支払いを先送りすることはできません。
締切が動かせない業務では、担当者が「教えるより自分でやったほうが早い」と判断しがちです。
月末から支給日までの数日間に、手順を丁寧に説明する余裕は生まれません。
この積み重ねが、引き継ぎの機会を年単位で奪っていきます。
給与計算は法改正と自社独自のルールが積み重なる
給与計算は、社会保険料率や税制の改正が毎年のように反映される業務です。
加えて、会社ごとに決めたルールが上乗せされます。
たとえば次のような項目です。
- 住宅手当や家族手当の支給条件
- 資格手当の対象になる資格の範囲
- 通勤費の計算方法と上限額
- 遅刻や早退があった月の控除の考え方
- 締め日と支払日のずれの扱い
これらは法律ではなく自社で決めた内容のため、調べても答えは出てきません。
担当者は、この二重の複雑さを日々の処理のなかで身につけていくわけです。
厄介なのは、覚えた内容の多くが文書に残らない点。
規程に書かれていない判断が頭のなかにたまった状態、これが属人化の正体といえるでしょう。
給与計算の担当者は交代する機会がほとんどない
多くの会社では、給与計算の担当者が長年固定されたままです。
人事異動の対象からも外れやすく、交代を経験しないまま何年も過ぎていきます。
担当が代わらなければ、手順を言葉にする必要も生まれません。
属人化は担当者の能力の問題ではなく、交代の機会がなかった結果として起こる現象です。
責任を個人に求めても、状況は変わりません。
給与計算の属人化で会社が抱える3つのリスク
給与計算の属人化によるリスクは、担当者の不在で業務が止まる点だけではありません。
誤りの修正や法定帳簿の整備にまで影響が及ぶ点に注意が必要です。
実務で起こりやすい3つを順に見ていきましょう。
担当者が休めない体制になり、休むと支給が止まる
代わりのいない業務を抱えた担当者は、繁忙期や年末調整の時期に休みを取りづらくなります。
この負担が続けば、本人の意欲は少しずつ下がっていくでしょう。
そして実際に休んだ月には、支給日までに計算を終えられない事態が起こります。
給与は毎月一定の期日に支払うものと、法律で定められているためです。
代わりに処理できる人がいなければ、社長自身が計算に入るほかありません。
属人化の解消は、担当者を守る取り組みでもあります。
誤りに気づけないまま社会保険や税の手続きに波及する
担当者がひとりの職場では、計算結果を第三者が確かめる工程が省かれがちです。
誤りは、社員からの申し出で初めて発覚します。
しかも給与計算の誤りは、給与の金額だけの問題では終わりません。
金額をひとつ間違えると、影響は次の範囲にまで広がるのです。
- 社会保険料の控除額
- 源泉徴収税額と年末調整の結果
- 住民税のもとになる給与支払報告書
- 賃金台帳と給与明細の記載
発覚が遅れるほど、対応の負担は重くなります。
本人が正確に処理していても、それを裏づける記録が残らない点も課題でしょう。
賃金台帳などの法定帳簿が担当者任せになる
会社には、事業場ごとに賃金台帳を作成して備え付ける義務があります(労働基準法第108条)。
保存期間は5年間で、当分の間は3年間とされています(同法第109条、第143条第1項)。
ところが属人化した職場では、帳簿の整備状況を知る人が担当者以外にいないのが実情です。
労働基準監督署の調査で説明できる人が社内にいない状態は、会社にとって大きな弱点になります。
帳簿の保管場所と記載内容は、担当者以外も把握しておきたいところです。
3つのリスクは、どれもひとりの担当者の努力では防げません。
会社の側が仕組みとして手を打つ場面です。
調査で確認される書類については、労働基準監督署の調査対策の記事でも解説しています。
給与計算の属人化は7つの工程に分けて見える化する
給与計算をひとかたまりの業務と捉えると、どこから手をつければよいか見えてきません。
実際には、工程ごとに属人化の中身も打ち手も別物です。
次の表で、自社がどの工程で止まっているかを確かめてみましょう。
| 工程 | 属人化しているサイン | 最初の一手 |
|---|---|---|
| ①勤怠の締め | 締め後の修正を担当者が個別に判断している | 修正の受付期限と判断基準を文書にする |
| ②基本給・手当・控除の計算 | 手当の支給条件が規程に書かれていない | 支給中の手当を一覧にし、根拠を確認する |
| ③チェックと承認 | 計算した本人が確認まで行っている | 前月との差額を見る確認役を置く |
| ④振込データの作成 | 銀行の操作手順を担当者しか知らない | 操作手順と権限者を書き出す |
| ⑤給与明細の交付 | 配付の作業を担当者が手作業で抱えている | 交付方法と配付先の管理表を残す |
| ⑥社会保険の手続き | 入退社時の届出を担当者の記憶で進めている | 届出の種類と提出先を一覧にする |
| ⑦年末調整 | 進め方が前年の担当者のメモに依存している | 年間スケジュールと確認事項を残す |
なお、給与明細(給与支払明細書)は、所得税法第231条により支払いを受ける人への交付が義務づけられています。
工程ごとに分けると、「すべてが属人化している」ように見えた業務も、手をつける順番が見えてくるはずです。
たとえば①勤怠の締めは現場とのやり取りが多く、⑦年末調整は年に一度しか経験を積めません。
②基本給・手当・控除の計算は、支給ルールが文書に残っていないと引き継げない工程です。
自社がどこで詰まっているかによって、打つべき手は変わります。
優先順位をつけて着手できる点が、工程別に見る利点といえます。
給与計算の属人化を解消する4つのステップ
属人化の解消は、手順書づくりから始めると失敗しやすい取り組みです。
整理されていない業務をそのまま文書にしても、複雑さごと固定してしまうためです。
次の順番で進めてください。
- 工程の棚卸し
先ほどの表を使い、7つの工程それぞれについて担当者と所要時間を書き出します。
担当者に確認しながら進めると、本人も言葉にしていなかった判断が表に出てきます - 例外ルールの整理
支給条件が曖昧な手当や、一部の社員にだけ適用されている扱いを洗い出します。
ただし、支給中の手当を減らしたりなくしたりする見直しは、労働条件の不利益変更にあたる場合があります。
就業規則や賃金規程の変更も伴うため、社会保険労務士に相談しながら進めてください - 手順書と権限の設計
整理後のルールをもとに、工程ごとの手順と、誰がどこまで扱えるかを決めます。
細かく書き込むより、判断が必要な箇所と過去の判断例を残すほうが実用的です - 二人体制または外部委託の判断
社内で複数人が扱える体制を目指すか、外部に任せるかを決めます。
人員に余裕がない会社では、年末調整を税理士へ依頼するなど、負荷の高い工程だけを外に出す選択も現実的でしょう
ステップ1の棚卸しでは、工程ごとに次の5点を書き出すと抜けが出ません。
- 誰が担当しているか
- 毎月どのくらい時間がかかっているか
- どのシステムやファイルを使うか
- 判断が必要になる場面はどこか
- 過去にトラブルが起きた箇所はどこか
この5点がそろえば、手順書の骨組みはほぼできあがります。
手順書ができたら引き継ぎテストで抜けを見つける
4つを終えたら、引き継ぎテストを一度行いましょう。
担当者には説明させず、別の社員が手順書だけを見て1か月分を処理できるかを試します。
詰まった箇所が、手順書に書き落とした判断です。
テストは、繁忙期を避けた月に行うと負担が軽くなります。
進めるときに気をつけたい2つの注意点
順番を守るほかに、社内で進める際の注意点が2つあります。
1つは、ステップ2を飛ばさない点です。
ルールを整理しないまま文書化すると、複雑な運用がそのまま次の担当者へ引き継がれます。
もう1つは、担当者を責める空気を作らない配慮です。
属人化の指摘は本人への評価と受け取られやすく、協力が得られなければ棚卸しは進みません。
「会社の仕組みを整える」という目的を、最初に共有しておきましょう。
手順書の作り方は、中小企業の業務マニュアル作成の記事で詳しく解説しています。
給与計算の属人化は情報を伏せたままでも解消できる
「給与額を他の人に見せられないので、属人化は避けられない」という相談も多いものです。
ただ、業務を引き継げる状態にする作業と、全員に金額を開示する行為は別物です。
機密性を保ったまま進める方法を4つ紹介します。
権限を「見る」と「処理する」に分ける
給与システムの権限は、金額を閲覧できる範囲と処理を実行できる範囲を分けて設定できます。
たとえば勤怠データの取り込みや振込データの作成は任せつつ、個人別の金額は一覧で見られない設定も可能です。
権限設計を見直すと、業務を分担できる余地が生まれます。
ただし、設定できる範囲は製品によって異なり、権限を分けただけで属人化が解けるわけではありません。
手順書の整備とあわせて進めるのが前提です。
手順書は実際の金額を使わずに作る
手順書に本物の給与額を載せる必要はありません。
架空の社員と金額で例を作れば、機密情報を含まない資料になります。
金額の代わりに残しておきたいのは、次の4点です。
- 操作の順番と、使う画面やファイル
- 判断が必要な場面と、過去にどう判断したか
- 締切と、前後の工程を担当する人
- 例外が起きたときの連絡先
画面の操作手順を残す場合も、テスト用データで撮った画像を使えば問題ありません。
この形にしておけば、社内の誰にでも見せられ、更新も気兼ねなく行えるでしょう。
役員報酬など一部だけ担当を分ける
会社が本当に伏せたい情報は、役員報酬や一部の管理職の給与だけ、という場合もあるでしょう。
その部分を社長または限られた担当者が扱い、残りは複数人で回す形も選べます。
属人化を「全部か、ゼロか」で考えない発想が要点です。
守るべき範囲を絞れば、分担できる業務は思いのほか多いはずです。
確認は金額そのものではなく前月との差分で行う
チェック役を置く際、全社員の金額を見せる必要はありません。
前月と比べて変動があった人だけを抽出し、その理由を説明できるかを確かめる方法があります。
この形なら、確認役が目にする情報は最小限で済むでしょう。
- 昇給や手当の変更があった人
- 扶養家族の増減があった人
- 残業時間が前月と大きく違う人
ただし、差分の確認では新しく入社した人の初回計算までは拾えません。
入退社のあった月は、対象者の計算を個別に確かめてください。
4つに共通するのは、開示する情報を絞りながら業務を分ける発想です。
機密性の高さは、属人化を放置してよい理由になりません。
権限設定の考え方は、給与システムの選び方の記事もあわせてご覧ください。
給与計算の属人化を自社だけで解消しにくい4つの場面
ここまでの手順は、多くが社内で進められる内容です。
一方で、専門的な判断が求められ、自社だけでは前に進みにくい場面もあります。
次のような状況では、早い段階で外部に相談したほうが確実です。
- 担当者がひとりしかおらず、棚卸しの時間を確保できない
- 支給している手当の根拠が規程になく、当時の経緯を誰も説明できない
- 過去の給与計算に誤りが見つかり、遡って修正する範囲の判断がつかない
- 人員を増やせないまま社員数が増え、現在の体制では回らなくなってきた
相談先は内容によって分かれます。
労働・社会保険の手続きの代行や就業規則の作成は、社会保険労務士が扱う業務です。
源泉徴収票の作成など税務書類に関わる部分は、税理士が担当します。
法律で扱える範囲が決まっているため、依頼先が分かれることもあるでしょう。
どちらに相談すべきか判断がつかない場合は、両方に対応できる事務所へ窓口を一本化する方法もあります。
判断に迷う段階で相談すれば、修正の範囲が広がる前に手を打てるでしょう。
まとめ:給与計算の属人化は工程を分けて一つずつ外す
給与計算の属人化は、担当者の責任ではなく、交代の機会がないまま続いてきた体制の問題です。
業務を7つの工程に分け、危ういところから順に見える化していきましょう。
金額を伏せたままでも、分担できる方法はあります。
一度に全部を変えず、危うい工程を1つ選ぶところから始めれば十分でしょう。
関連して、経理が属人化する原因と会社が取るべき改善策、バックオフィスDXの進め方もご参照ください。
手当の設計や社会保険は社会保険労務士、年末調整など税に関わる部分は税理士の領域です。
給与計算の属人化を解消するには、労務と税務の両面から体制を見直す必要がある場合もあります。
JNEXTグループでは、社会保険労務士と税理士がそれぞれの専門分野からご相談を承っています。
「どの工程から見直せばよいかわからない」という段階でも、まずはお気軽に無料相談をご利用ください。

